ひとりごとあれこれ・・・日記

 

 

    


櫻咲く前の帳尻合わせの寒気

2007. 3.13

    
 桜の開花予想が各地で発表された途端にこの寒気、暖冬で例年よりかなり早まりそうな気配を見せていたのに、これで各年の5、6日程度のずれになるのではないのかと思っている。
 バイオリズムと揺らぎの関係から気温の帳尻合わせのような気がしてならない。
 
 

 

 

 
    
    


横尾忠則は元気だ

2007. 2.24

    
 岡本太郎、池田万寿夫、横尾忠則の三大巨匠、中でも現役で活躍の横尾忠則は七十を越えてなお元気でいる。
 容姿にしても同世代とは一線を画している。テレビの画面を通してこちらにアートとはこういうものなんだという無言の訴えがビンビン伝わってきた。
 
 

 

 

 
    
    


カレーシチューが一番美味しかった

2006.10.24

    
 毎日新聞に母校の記事が出ていました。給食をランチルームで食べることや給食費の滞納者がゼロであることなどが書かれていました。
 私が在学中は、現在の校舎ではなかったのでランチルームはありませんでしたが、小学校では以前の名称「食堂」がありました。、
 中でもカレーシチューは最高でした。
 今でも「ニコニコ号」が走ってます。
毎日新聞の記事

 

 

 
    
    


秋を実感

2006.10.16


 道の駅新吉富に寄ったところコスモス祭りが開催中で、人の多さに驚きましたが、隣接しているコスモス畑に広がる薄紅色の花が満開で一面に広がる光景は、ファンタジーの世界への誘いのようにも思えました。
 へりの遊覧飛行もあり、空からの眺めは最高ではないかと思う秋の一日でした。

 

 

 
 

 


往復42時間マイクロバスの旅でメンターに会えた

2006.7.25


 15,16,17日の3日間のスケジュールで、千葉までのマイクロバスの旅をしてきました。
 自宅を9:00出発翌朝5:00現地到着と言うスケジュールでしたが、バスの座席4席分を取り外して、車椅子を固定してその周りに吸引機などを配置してまるで私の部屋と変わらないような車内で、快適に過ごすことができました。
 3名のドライバーを務める仲間の協力を得まして、今回の旅か実現しました。
 首都高を走っているときに11年ぶりの風景に感慨深い心境になりました。
 現地では大先輩に歓迎を受け、メールだけの交流しかなかった方にも直に会えました。
 中でも、お目にかかることが実現しないと思っていた、私の人生観を変えることになったメンターにも会えました。
 最高のアドバイスを頂き、楽しい旅になりました。
 
 

 


映画ミュンヘンで思い出したこと

2006.3.31


 スピルバーグ監督のミュンヘンで思い出したこと、子供の頃に行った神戸のビアホールのミュンヘン、玄関に飼われていたインコにちょっかいを出されたこと。
 それともうひとつ、私が中学生の頃、プロレスラーの故ジャンボ鶴田さんと話す機会があって、ずっと聞きたかったことをその時質問してみた。
 「アマレス時代にミュンヘンオリンピックに出場した鶴田さんが何位だったのか」といういことだった。しかし、その答えの記憶がないのです。何故かと言えばその後に聞いた話があまりにも衝撃的だったのです。
 鶴田さんの話によれば、最初の組み合わせの通り試合が行われていたなら金メダルの可能性が高かったということでした。それがパレスチナゲリラの選手村の占拠で、鶴田さんの試合の相手がゲリラに殺害されてしまい、試合の組み合わせが変更された結果メダルに手が届かなかったということでした。
 今思えば、鶴田さんはまさにスピルバーグ監督のミュンヘンの舞台の当事者だったのです。
 私の質問に鶴田さんは、とても気さくに答えてくれました。その横で大きな声で「もう時間だ終わりだ終わり」と言っていたのは、付き人として来ていた大仁田厚さんでした。
 
 
 

 


2006年を迎えました。

2006.1.5


 あっという間の三箇日でした。
 昨年末感心したのは、松下電器の石油ファンヒーターの自主リコールの件です。
 PL法によればとっくに保障期間は過ぎて、リコールの責任はなくなっているのに、莫大な予算をかけての回収劇でした。
 松下幸之助の精神がまだ根強く活き続けている証だと思いました。
 
 今年はこういった本物が表に出てくるのではないかと思っています。

 


「私の夢空間 ホームシアター」・・・うちには存在しません。

2005.11.27


 2週間ほど前に、NHKのBS2に原田恵理子さんがリポーターとして「私の夢空間 ホームシアター」にでていました。
 テレビで拝見するのは、大分朝日放送(OAB)にいた頃以来ですから、3年ぶりです。
 がんばってますねと感心していたら、昨日、我が家を訪れてくれました。なんだか次から次へと矢継ぎ早に思い出話が飛び交い、あっという間の時間でした。
 しかし、3年振りなのに、愛犬ファン君は彼女のことを覚えていて、最大の歓迎をしていました。驚き・・・。

 

 


やっと秋らしくなりました

2005.10.12


 今年に限って秋の待ちどおしかったことはないです。残暑厳しい中、一日中大粒の汗をかいていました。重労働など無縁の私は、ただただ水分補給を繰り返すのみでした。
 涼しげな秋の到来は、ひと時の幸福感に浸らせてくれました。  
 それと同時に、愛亀イチローは、冬眠の準備に入り、食欲がなくなりました。しかし、この冬眠準備の第一波から、あることをすると夏の頃の活発さに戻るのです。それで完璧に体力をつけさせて冬眠準備第二波が来たら、冬眠カプセルに入れます。
 イチローの成長著しく、目標サイズ30cmまではあと数年と言ったところでしょう。

 

 


感覚が麻痺して

2005.9.8


 台風14号ナービー(ウェザーニュースを見て覚えました。)は22時間も我が家を暴風雨に包んで、こんなに長いこと同じ状況に置かれると、感覚が麻痺して暴風雨があたりまえの状況に感じ始めたりしました。
 幸いにも今回は我が家に何の被害もありませんでしたが、被害にあわれた方には一日も速い復旧が出来ますようお祈りします。。  
 今日は、期日前投票をし、朝からメールの返事に追われました。あるブログの中で面白い現象が起こっているのにも驚かされました。妻は大学の公開講座に参加中、土曜日まで缶詰状態でがんばってます。
 

 


本当に調べているのですね。

2005.9.3


 よく新聞やテレビで世論調査というのがあります。各メディアが無作為で選んだ1000人前後から電話でアンケートをとるのですが、私はこの調査本当に行っているのか懐疑的でした。
 一昨日、フジテレビから電話がかかってきました。あいにく私ではなかったのですが、実際に行っていることには納得!!  

 

 


気づけば八月下旬

2005.8.20


 今朝、テレビを見ていたら友人夫妻が出ているのに驚いて眠気も吹っ飛びました。
 友人が鹿児島から別府の私の所に連れて来た女性を紹介されたのが、20年程前のこと、背の高い友人の後ろで見え隠れしながら近づいてきて、その時は私と友人の共通の知人かと勘違いしていましたが、事情がわかるまでには、そう時間は必要ありませんでした。
 そのときの二人から漂ってくる、幸福感と言うか幸せの波動がまるで、タイムスリップしたかのように、テレビの画面から伝わってきました。
 仲が良いのに越したことはないですね。
 そうそう、かなり歳月が経ってしまいましたが、結婚式のスピーチ頼まれた時に貰った、マスクメロンはかなりの美味でした。(18年前の感想)
 

 


7月17日に思ったこと。

2005.7.18


 人は生きるために生まれる 生きて生きて生き抜いて
 良い事が起こると思うだけで 
 次から次に 良い事が起こる
 だから人生やめられなくなる
 生きて 生きて 生き抜こうよ 

 


おっ!使ってますね。

2005.7.5


 私はよくテレビを見ますが、とくに医療関係の番組は人工呼吸器をとくに観るようにしています。
 昨日のNHKBSのER 緊急救命室 にストレッチャーで運ばれる患者さんの脇に、アチーバが乗られていました。
 この番組ではいろいろな人工呼吸器が登場しますが、私はアチーバを確認したのはこれが初めてでした。
 
  

 


UFO目撃・・・

2005.6.13


 私の話ではないのですが、今日聞いた話で、今までのUFO目撃の中でも変り種なので、書いておくことにしました。
 目撃者は歌手のマルシアさんです。お昼のテレビ番組での話し、某日未明日本のとある海岸で癒しのために波の音を聞いていると、目の前の海面数十メートルの上空にディスク型のUFOが出現し、海面を照らす光はそれはそれは綺麗だったということです。
 それからUFOの上下にスライドするドアらしきものが開いて、中から背丈がマルシアさんの脇の下ほどの高さのグレー色の子供らしき者が、まるでペンギンが歩くような足取りで出てきて、海に向かって緑色のものを吐き、その後から母親らしき背の高いものが現れて、子供の背中をさする様子が見えしばらくするとまた緑色のものを吐き、その後ドアが閉まり、空のかなたに消えていったということでした。
 いやはや、UFOの乗組員が家族で、しかも乗り物酔いをして海に向かって嘔吐するとは、これは数ある目撃談の中でもリアルに笑えました。
 
  

 


カッピング

2005.5.26


 カッピングという古来から伝わる吸い球療法の器具を念願かなって、手に入れました。
 カップを体に付けて引圧を利用して、血流を良くする等の効果があり、中でも患部の状態が施術後の皮膚の色で解るのも興味を持てます。
 長期的にカッピングをして良い結果が出れば、ここで報告します。
 
 
  

 


オンラインレンタルDVD

2005.5.8


 映画を観るためにオンラインレンタルを利用しています。予想していたよりも郵送に時間を取られることなく、レンタルの回転が速いのには感心しています。
 先日「ラブストーリー」を観ました。なかなかよく出来ていました。高校の保健の検便の採取のシーンでは他人のモノを提出して、寄生虫が検出されるのには笑いました。
 ベトナム戦争から帰還してヒロインとの再会には、ドラマがあります。
 「チルソクの夏」は下関の水族館「海響館」を訪れたときに見かけたポスターの印象と下関の友人の高校生の頃の時代背景が同じ頃と重なり、懐かしさや面白さが倍増しました。
 
 話が変わりますが、我が家のファン君には家族公認の特技があります。彼はカボチャの栽培が得意なのです。毎年立派なカボチャを育ててくれます。我が家では、そのカボチャをファンカボチャと呼んでいます。今年も多くの芽が生えてきました。 

 


今年も暑いのかな

2005.4.12


 桜が咲いたと思ったら、夏を思わせるような異常な暑さ、おかげで冬眠明けのクサガメのイチローは俄然食欲が増して、一日の餌の量が三倍に増えました。
 今年も成長し続けるのでしょう。水槽が狭く感じてきた今日この頃です。
 先日、我が家が撮影された衛星写真を手に入れました。近所の川など日ごろ眺めている風景が視点を変えてみると勾配や曲がりくねる角度などまったく違う印象を受けます。
 写真を見て屋根の色で我が家と解りました。たまたま壁などを塗り替える予定なので、屋根の色も宇宙から観て目立つ色にしたいと思っているところです。
 
 

 


実は入院していました。

2005.3.1


 二月に入り、食欲がなくなりなんだか体に力が入らないと感じながら、過ごしていたらある夜中に高熱が出ていまして、結局気管支炎で入院してしまいました。
 ベンチレーターで生活するうえでは避けられないことですから、一日でも早く回復せねばと意識を集中させていました。
 そうそう、入院中にテレビで見た、内臓脂肪のダイエットにはαリポ酸のサプリメントが効果アリと知り、実践してみたいと思っていたら、ラッキーなことに翌日に手にすることが出来、早速摂取しました。
 なんと翌日から、ガスでパンパンに膨れていたお腹が小さくなり始め、今ではずいぶんお腹のふくらみも小さくなりました。
 恐るべしαリポ酸
 

 


軽いカルチャーショック

2005.1.31


 また映画の話です。それも韓国映画です。「リメンバーミー」1979年の皆既月食の日に女子大生の無線機から一人の男性の声が聞こえ・・・
 実はそれが時を隔てた2000年からのそれも、同じ大学の学生で、ドラマの展開はとても叙情的な感じが漂い、ラストシーンは観る者にいろんな背景を考えてみてはと問いかけているようなそんな中にも切なさゆえに目頭が熱くなってしまいました。
 私としては五つ星を与えていい映画でした。甘いかな。
 公開翌年には、日本でリメークされていて、ネットで検索してみたら、原作は118分なのに対し74分の本編と言うことで「ちょっと待ちなさい」と言う思いがわきあがり、レビューを参考にしましょうと読んだら、リメーク版をぼろくそにこきおろしながらも、分析はしっかりされているので参考になりました。
 これは観なくていいなと思ってます。多分観ないでしょう。
 これから観てみたいと思っているのは、岩井俊二監督「Love Letter-ラブレター」です。韓国映画や「冬のソナタ」等のドラマに革命的な影響を与えた作品であり、噂ではとても自然の風景の描写が美しいと言うことと、「お元気ですか、私は元気です。」の台詞の場面に興味があります。

 


新年を迎えられたことに感謝です。

2005.1.6


 年末から、生命力が倍増するような素晴らしい仕事をさせていただきました。
 2日にはそれも一段落しまして、それからは、韓国映画にどっぷりつかったお正月でした。
 ちなみに観賞したのは「僕の彼女を紹介します」、「誰にでも秘密がある」、「ピアノを弾く大統領」の三作品です。この三作品を見ていて感じたのは、五感に擬似感覚が画面から伝わってくることです。なぜなのか解りませんが言葉が理解できない分感覚が鋭くなっているからなのでしょうか。
 「誰にも・・・」の崔智友さんの役は冬のソナタの友真とは打って変わってコミカルな演技で笑えました。
 「ピアノ・・・」の監督のインタビューである言葉を崔志宇さんに言わせたとあり、そのハングル文字を調べたら「くそ」でした。
 さてそれでは一日、一秒を生きていけることに感謝して、2005年のスタートです。

 


多くの方のご声援ありがとうございました。

2004.12.27


 今年の年の瀬の時間の経過の速い事、気を抜くと年内にしなければならないことを来年に持ち越しそうな感じがしています。やや焦り気味ですが・・・。
 いま韓流ブームの火付け役といっても良いドラマ「冬のソナタ」ですが、私はみたいと思っていませんでしたが、録画を頼まれて、先週始めて見ました。
 いくつかの興味を引く要因も手伝って、気がついたらいつの間にかドラマに引き込まれていました。
 二年前に作られた作品だそうで、似たうな作品が出ていないところを見れば希少価値のあるものでなかなか面白いです。
 話は変わりますが、今年も多くの方からご声援を頂きここまでやってこれることが出来ました。本当にありがとうございました。
 皆さん良いお年をお迎えください。

 


近況です。

2004.11.27


 私が結婚して以来なかなか会う機会に恵まれずにいた父方の祖母に五年ぶりに会いました。90歳を迎えまだまだ元気です。私に会うなり「もう思い残すことはなくなった」と笑っていました。
 昨日ニュースであんなに生き生きとエネルギッシュにやる気満々の高揚した顔の王監督を久々に見ました。来年のホークスが楽しみです。
 今日の夕食は冬ソナの影響でしょうか、ビビンバでした。汗をかきかき食べたのでした。
 水晶の思わぬプレゼントをもらいました。頭痛のときは頭に置いておくと痛みが消えます。
 

 


後日談

2004.10.2


 愛犬ファン君が発見したイノシシはあれから3日ほど田んぼに居座りましたが、役場から派遣された駆除係に駆除されました。
 

 


速く感じる

2004.9.18


 なぜか時間の流れの速いと感じる今日この頃です。
 最近更新できていませんでしたが何とかこのコンテンツだけでも更新しなければと思い筆を持っています。本当に筆を持っています。両手でキーをたたくことが出来ないし片手の指も無理なわけで、そこに現役を引退した我が相棒の筆を逆さに持ってキーを押しているわけなのです。     
 この秋は台風がすごい被害を起こしていました。我が家も屋根の瓦が何枚か飛ばされました。最接近のときの最大風速を音で聞いていると、異常に体が緊張しまくりまして、翌日は体のあっちこっちの痛みに悩まされました。     
台風一過、秋は深まり、いや秋らしくなり、地元名物のガニ汁を週一で食べている状態です。     
 家の横を流れる小さな谷川によくもこんなに多くのもずくガ二がいるもんだと感心しているのですが、河野家では、捕獲したもずくガニをミキサーで粉砕して鍋で煮るのです。甲羅・カニ味噌など一切捨てることなく食べられるのが魅力です。そのうえめっちゃ美味しい。     
 昨日、愛犬ファン君が散歩の途中鋭い嗅覚で田んぼの稲の中に隠れていたイノシシを発見し、さすがに格闘はさせなかったのですが、人間では到底見つけることが出来ませんでした。     
 イノシシのほうは、あつかましくも今日もまだ田んぼの中にいるそうです。

 


これからもよろしく

2004.8.11


 今私のベンチレーター(人工呼吸器)は定期メンテナンスを受けています。約一ヶ月は代替器のお世話になっています。
 私がいつも使っているベンチレーターと代替器との違いは、アラームの音量です。     
 通常使っているのは、けたましい音で緊急時を知らせてくれます。代替器は比較的おとなしいのです。申し訳ないといった感じで鳴ります。     
考えてみると、5000時間サイクルでメンテナンスを繰り返し、いつも狂いなく正確に作動してくれています。     
 感謝の言葉しか出てこないです。     
 代替器共々私の命を支えてくれています。これからのすばらしく明るい未来に向かう今でさえ常に肺の中に空気を送って支えてくれています。     
 本当に本当にこれからもよろしくです。

 


久々に温泉に入りました。

2004.7.26


 19、20日と山香町にある温泉「風の郷」に行ってきました。
 いつも行き先は温泉ガイドブックを見て「バリアフリー」を謳っている宿を奥さんがいくつかピックアップして決めるのです。     
 「バリアフリー」と言っても、施設がどこまでの認識を持っているかで、対応に雲泥の差があります。入浴施設でも「車椅子の方も利用できます。」とあっても、実際には立ち上がることが出来なければ浴槽には入れなかったり、事前に入浴の意思を伝えていなければ浴槽にお湯が入っていなかったりとガッカリした事もありました。     
「風の郷」の浴槽の設計は車椅子で浴槽まで行け、浴槽のそこが水面から緩やかなスロープになっていて、約1メートルほどで水深30センチくらいになっています。     
 今回念願かかなって温泉に入ることが出来たのです。呼吸器もありますから浴槽の深層部には浸かれませんが、スロープを利用してお湯に浸かれました。     
 お湯から上がって、エアコンが効いた中でも湯冷めしないのが良いですね。     
 近日中に旅行記をUP予定です。

 


同じ考え方の、斎藤一人さん

2004.7.17


 斎藤一人さんの存在はかねてより全国納税者番付第一位など高額所得者として、「スリムドカン」を販売している銀座まるかん経営者で、一年の大半を全国を旅して回り、テレビなどのメディアには顔を出さない方として知っていました。
 今年に入って「ついてる、ついてる」と言続けていると全てがついてくるという言葉の持つ波動について行き当たり、そのことについての斎藤一人さんの著書があることを知り、現在読み漁っているところです。     
 著書の中には一人さんのいろいろ普通とはかけ離れた考え方が書いてありましたが、私にとっては心の中で温め続けていた事が、やっと日の光を浴びた気持ちでした。     
しかし、私と全てが同じというわけではなく一人さんの考え方がはるかかなたの上のレベルです。     
 中でも、200歳まで健康に生きると言う考えは、私の人生観を変えるものでした。     
      
 

 


キーンとかキュイーン

2004.7.15


 元来歯が丈夫なほうではない私ですから、子供の頃から歯医者にお世話になり続けてきました。
 現在お世話になっている歯科の先生は、気管切開、ベンチレーター装着をした入院期間中に虫歯になり、当時の病棟の婦長さんが奔走して探してくれた先生です。     
 いざ先生にお会いしたらなんと以前、私が所属したいたベートーベンの「第九」の合唱団で同じパートで歌っていらした方でした。     
先生はこれから在宅療養をされる方が多くなることを見越して、往診治療をされているということでした。     
 携帯の往診セットは、私の好奇心をくすぐる格好の材料でした。バキューム、グラインダー、エアーといった診察室の機器類が、わずか50センチ四方のトランクサイズに収まっているのです。     
 先日も往診に来てくださって治療して下さったのですが、携帯の往診セットといえども機能は診察室にあるものと遜色がないのです。     
 しかし、幾つになっても歯を削るときのキーンとかキュイーンにはなかなか平常心でいることが出来ませんでした。     
      
 

 


10年近く抱えていた問題解決

2004.6.26


 わたしごとですが、めちゃめちゃ嬉しい事がありました。ベンチレーターをつけているからこそ抱えてしまう、考えただけでも憂鬱になるくらいの問題が解決したのです。
 カニューレを挿入しているため気管に痰がたまるので、痰による窒息や肺炎などの予防も兼ね、吸引カテーテルで痰を吸引するのですが、気候や気圧の変化で痰が多くなってカテーテルによる痰の吸引回数が急激に多くなります。     
 中でも気管の奥に痰がたまると、カテーテルの届く位置まで上がってくるまでの咳が(ゴホンゴホンとは言いませんが)出まくるためにくるしいのです。その中でも左の気管支に出ると体を横にしては体位ドレナージーを繰り返して吸引をするので手間もかかり体力も失われます。介護者までも疲労するので何か良い方法はないかと思い続けていました。     
昨夜のことです。久しぶりに、左の気管支の奥のほうでゴホッっと痰が出るのがわかりました。     
 いつもの手順を繰り返したあと、「左の気管支にカテーテルが入る方法があればなぁ」と言ったら、奥さんが「あるよ」と答えたのです。     
 予想もしていなかった答えに驚きです。しばらく本当なのか疑っていましたが、また左の気管支に痰が出てきたので早速その方法を試しました。     
 見事なまでに左気管支にある痰は吸引されつくし、しばらくは感動に浸っていました。     
 いつから知っていたのと奥さんに聞いたところ、3日前に本で読んだそうです。     
 これからは、解決方法が見つかったので出先などでも安心です。     
 本当にめっちゃうれしい。

 


ツイてる痛さ

2004.6.19


 先週、宮里藍さんのことを書きましたが、彼女は見事黒色以外のウェアーでプレーしてぶっちぎりの成績で優勝しました。おめでとうございます。
 昨日は、宝くじの一等が当たったようなラッキーなことが起こりました。それは、週一回の主治医の往診日で診察が終わり、呼吸器回路の交換を始めたとき突然、左足の小指に今まで経験をしたことのない激痛が、一秒間隔で三回走りました。     
 ひざ掛けを取って足の指を見てもらいましたが何も異常がありません。何かに噛まれたような感じがしたのですが、走り続ける激痛の中、「通風」と妻が冗談交じりにその場を笑わせましたが、今は貴女の笑いについて行けないと苦痛の顔を作っていたときに、私の右腕にさわさわと何かが動く感じがしたのです。     
 この感覚は以前に何回か経験したものでした。右腕に何か張っている感じがしてみてみるとそれはムカデでした。これが犯人でした。     
 ムカデに噛まれると相当痛いらしいとは聞いていましたが、まるで金属音が傷口のあたりで何度も何度も響くように痛み続けていました。     
 腫上がることは無かったので幸いでしたが、傷みがピークを過ぎた頃から。ツイてるなめったに起こらないことを体験できたとか、ムカデに噛まれるなんて宝くじに当たったようなものだとそんな思いが頭の中をかけめぐりました。     
 噛まれた痛さを知って、今まで抱いていたムカデに対する無用の恐怖感がなくなりました。ラッキー。     
      
 我が家では、家の中でムカデを見ると大雨が降るというジンクスがあります。今日は台風の影響でどしゃ降りでした。     
 

 


私だけ思うこと「宮里 藍さん」

2004.6.12


 子供の頃からゴルフの英才教育を受けてプロ転向半年、それも十代で優勝とは素晴しいことです。
 宮里藍さんのプレーをニュースで度々見かけます。私は、ゴルフにまったく詳しくあのませんがひとつ気になることを見つけました。     
 宮里藍さんが参戦してきた数々の試合で、成績が大きく落ち込む日があります。私が見る限り、その日に限って黒いゴルフウエアーを身に着けています。     
 黒色はエネルギーを吸収してしまうと言われています。代表的なのはブラックホールです。星まで吸い込んじゃうからものすごいものです。     
 宮里藍さんは自分のエネルギーを全てショットに込めるタイプだと思っているのです。ですから黒いウェアーだとエネルギーが不足して、プレーに影響するのではと勝手に一人思う今日この頃です。     
 それにしても、見ていて楽しみな選手が登場してきました。どんどん優勝してほしいものです。     
 

 


変わりだね

2004.6.9


 昨日豊前市の道の駅「おこしかけ」で名物という、イチジクソフトクリームを食べました。
 味はと言うとイチジクからは予想も出来ない濃くがあって、イチジク本来の味は明日の昼ごろにやってきそうなと思えるほどの淡白さなのです。     
 他の変り種のソフトクリームもこんなものであれば少々期待はずれになってしまいます。     
 でも、食べてみたいものです。     
 この夏には、清川村の道の駅で、桃のソフトクリームを食べる予定です。     
      
 

 


清原スウィング

2004.5.24


 2,000本安打まであと一桁まで迫ってきた読売ジャイアンツの清原選手、私が注目しているのは、ホームランを打つ瞬間の彼、独特のスウィングです。
 松井秀喜選手や他の日本人選手のスウィングとは少し違うような気がしています。     
 柔らかくまるで余分な力を排除した軽いスウィングでスタンドに打球が飛んでいきます。私は勝手に「清原スウィング」と名づけています。     
 たとえるのが難しいのですが、サッカー選手のパスでたとえるとオランダリーグの小野選手の柔らかい放物線を描く、パスのときのキックにも似ています。     
 一流選手が一般人の手の届かない領域の才能を持った証でしょうか。     
 誰がなんと言おうと、清原スウィングをこれからも一年でも長く現役を続けていただいて見続けたいものです。     
 

 


私だけ思うこと・・・

2004.5.19


 昨年の阪神タイガース星野仙一監督の勇退の予感的中、そして今年のゴールデンウィークには福田官房長官の辞任の予感がして、これも的中。
 さて今私だけが思っているのでしょうか、○○○○○○が辞任するのではと予感しているのです。     
 しかし、外れることが多い私の予感です。気にしないでください。     
      
 

 


アサリ貝を食べた

2004.5.6


 昨日従兄弟のコーチャンが潮干狩りの帰りに採れたてのアサリを持ってきてくれました。
 一日砂を吐かせて、バター炒めとおすましで食べました。     
 美味しかったーーーーーーー。     
      
 

 


二回に分けてのヘアーカット

2004.4.27


 三月下旬から入院、四月の上旬まで入院生活していました。おかげで今年の桜の花見は、枝先の花を見るだけでした。
病室が三階だったため窓の外の道路沿いにある、桜並木の中の一本の一番高い枝の花を見ていたのでした。     
 今回、髪の毛が伸びていてといっても長髪にしているわけではなく、短いなりにわずかに伸びると、寝たままの生活を送っていると毛先がちくちく地肌を刺激し、かゆみを誘い気持ちも落ち着きません。     
 そこで、私の専属のヘアーメイクさん実は、私の奥さんにいつもチョキチョキとカットしてもらっているのです。「耳のところだけでもカットして」と言ったら、手早く寝ている状態の私の頭を右に左にひょいひょいと向けてはチョキチョキとカットしてくれたのです。     
 ちくちくの刺激から解放された私は、平穏な日を迎えたのです。そして退院して二三日して鏡を見ていて自分の顔が誰かに似ているなと思ったのです。芥川龍之介それもヘアースタイルがと思いつつ、翌日には魔法使いサリーちゃんのパパになっていたので、再びカットしてもらって、いつものスタイルになりました。

 


これからの車について

2004.3.4


 電気自動車やハイブリットカーに燃料電池車といった、いわゆる地球に優しいといわれる次世代型自動車には、とても興味を惹かれます。
空気を汚さないことこれが一番魅力的なのです。私は、現在人工呼吸器を装着していますが、装着する少し前のことですが冬には、石油ファンヒーターで暖房中の部屋に五分もいると、つめや唇が紫色に変色したものです。これは酸素が不足しているのと空気が汚れているから呼吸器系の弱った私は敏感に反応したのです。     
 車の交通量の多い道路の歩道などを移動するときにも同じ反応が出ていました。車の排気ガスが無くなればある程度の病気は激減すると考えています。     
 先日のテレビ番組で見た『エアーカー』には感激さえ覚えました。燃料は圧縮空気、一回の給気(給油のようなもの)にかかる費用は150円ほど、動力エネルギーが空気のため排ガスはきれいな空気なのです。私は数あるエコカーの中でこのエアーカーを一押ししています。年末には日本でも販売される予定だそうです。(テレビ番組中のコメント引用)     
 このアドレスにエアーカーについて掲載されています。
http://www.kubotatu.net/blog/biz/archives/000381.html

 


サプリメント

2004.2.10


 少しでも健康維持にに役立てばと、健康補助食品のサプリメントを摂取しています。中でもカルシュウムは目に見えて効果があります。
薄かった爪が硬くなったり、イライラがなくなったり説明にあるとおりでした。もうひとつ私は、冬の乾燥した時期に肌のかゆみに悩まされます。それに夏になると汗をかいた後の肌のかゆみにも悩まされ、ある日スッポンのエキスに含まれるビタミンEが効果があると知り、早速取り寄せ服用したところ翌日から、肌のかゆさが軽減したのには驚きました。     
 最近、取り寄せたのが「やずや」の酵酢です。寒がりの私ですが、この冬はなんだか体がぽかぽかしている日が多いことに気づきました。

 


簡単レシピ

2003.12.15


 ライ麦パンを食べる機会がありました。私は、パンは必ず電子レンジで温めてから食べるのですが、そのときの香りの良さにひとつ思いついたことがありました。それは昔、学校給食で食べていた『カレーシチュー』の簡単な作り方です。早速作ってもらって食べたところあの頃の味が完全に再現出来たとは言えませんが、90パーセントは再現できたのではと自負しています。
作り方は、レトルトカレー1パックを温めないで中身のルーを容器に移します。水カップ半分をルーの中に入れます。レンジで1分半温めた後に大サジ2杯の牛乳を入れたら出来上がりです。     
 ライ麦パンにはこれが合います。ちなみに、一番は「カレー屋さんのカレー」次に「ボンカレーゴールド中辛」がカレーシチュー向きのようです。      

 


重なれば重なる事

2003.10.19


 最近、私の使っているベッドの調子が悪いなと思っていた矢先、9日の夜中もう数十分で日付が変わる頃に「さあ寝ようかと思い、背もたれを倒そうとした時、リモコンのスイッチの音が「カチッ、カチッ」と部屋中にむなしく響き渡り、ベットが故障した事を悟りました。それから翌日勤務を控えている私が最も頼りにしている奥様が小一時間ほど悪戦苦闘したにもかかわらずベッドは息を吹き返しませんでした。
急遽、床にベースキャンプを移して一夜を明かしました。朝一番で業者に修理を依頼したにもかかわらず、我がベッドはとうと廃棄処分となりました。という事は次のベッドを購入するという事態になり、おかげで二夜連続ベースキャンプで夜を明かす事態は避けられました。さて、新しいベッドが来て驚いたのは前のベッドに比べ幅が8センチ大きくなっているのにもかかわらず、軽量で組み立ても簡単になっている事でした。前回も今回もメーカは「キプロ」です。
 ベッドのことがあってから2、3日後にパソコンのLANが故障してインターネットができない日が続き、それを見かねた奥様が「いっそうの事新しいパソコンを買いましょう」といってくれたので、電気店に商品を見に行きました。最新式のパソコンは私には何が何だかわからないくらいに進化していて、あれもこれもと目移りしてしまう始末です。しばらくパソコンコーナーをぐるぐる回った結果、決め手は手元がシンプルなものという事でした。前回も今回もメーカは「NEC」です。
 先週、奥様は通勤用の車を新しくしました。前回も今回もメーカーは「HONDA」です。

 


気がつけば

2003.10.11


 早いもので10月も半ばに入りました。

 阪神タイガースがリーグ優勝して、終わりのない夏が来ているのかと思うほど暑い九月が終わったとたんに蝉の鳴き声も聞こえなくなりました。
 テレビで「葉酸」の必要性を特集していたので、注文していたサプリメントがテレビの影響もあって人気急上昇して2ヶ月待ってやっと届きました。さて効果はいかほどのものでしょうか、摂取し続ける事が肝心ですが、気のせいか近頃の気温の冷え込みに身体が対応しているみたいです。

 


水の中の音

2003.8.16


 下関の水族館、海響館ではイルカショーのプールの深層部の壁がアクリルになっていて水の中の様子が観れるようになっているのです。

 ここで、私は生まれて始めてイルカの力強い尾びれの音を聞いたのです。立ち泳ぎをする時は、「バッ、バッ、バッ」とまるで焼き鳥を七輪で焼くときに使う、うちわの音を巨大にした音が私の体に小刻みな振動とともに伝わってくるのです。この新発見に感激の一時でした。
水面高くジャンプする前や着水してからのスピード感あふれるイルカの動き、プールの底すれすれまで弧を描く泳ぎに圧倒されっぱなしでした。

 


近況報告 

2003.7.22


 台風通過のあとに事もあろうか体調を崩してしまい入院、点滴の毎日でした。
それなりに兆候が出ていたにもかかわらず、何の此れしき云々・・・頑張りすぎました。
 今月の頭に退院して、何とか普段の生活に戻っています。

 夏本番を迎え高校野球も県大会が始まり、テレビ観戦をしていたら従兄弟の息子がグランドボーイとして何度も画面に登場していました。体格が小柄なゆえにレギュラーになれなかったけれど大事な試合の裏方としてがんばっている姿に思わず拍手(パチパチ・・・)。

 


必需品です 

2003.6.8


 5月30日朝早く台風4号が我家からの約50kmの所を通過しました。私の必需品となっている気圧計は、昨夜から急激な気圧の低下に伴いメーターの針はぐんぐん下がりっぱなしです。しばらく目にしていなかった1000ヘクトパスカルに指しかかったのは、台風の本体が奄美大島辺りを通過している時でした。一夜明けても低気圧下にあり体調が優れない状態でした。

 何故、気圧計が私の必需品かというと、気管切開をしている私には痰の吸引(以後、吸引)が欠かすことのできないケアなのです。
 これが自分でできれば良いのですか、介護内容のメインになっているのです。体調によって吸引が2時間に一回〜10分に一回と頻回に吸引をしなければならない時は、介護者に多大な負担をかけてしまいます。

 体調が悪いという自覚がないのに吸引が多くなる場合があり、その原因を追求した結果、気圧が関係することがわかりました。それで早速気圧計を手に入れてデータを取りました。1010ヘクトパスカルを起点として上下に各、2つの吸引ゾーンが存在するのがわかりました。

 場合によっては身体を横にして気圧の変化を待っていることで、吸引の回数を減らすことができることがわかりました。
 一つ残念なことは細部の正確な気圧の数値をつかめないことです。それは現在使用している気圧計が気象用のではなく登山用の高度計と併用になっているものなので大まかな数値しか把握できないのです。

 これをクリアーできれば私の私による私のための体調予報と吸引注意報が出せるのですが、それでも気圧計は十分役立っていますし私の必需品になっています。。

 



ギター小僧のハート

2003.4.18.


 昨夜、偶然合わせたテレビのチャンネルで久々に良いミュージシャンを見ました。
名前だけは何度か見かけた記憶がありましたが、どんなジャンルで活躍されているのかは知りませんでした。

 「押尾コータロー」さんという方でギターリストです。何故私が興味を持ったかというと,この方はアコースティックギターを弾いているからです。
私も今から十数年前まで、御世辞にも上手とは言えないながらもアコースティックギターを弾いていました。

 ギターを弾いてきた中でも、自分のアイデアが浮かんだその通りに弾けていたころで、これから自分のギターの世界が広がるぞという時に指に力が入らなくなりギターを断念しなければなりませんでした。
今でもたまにギターを弾いてとても上機嫌になっていたりする夢を見るのですが、目がさめてもその日一日はとてもウキウキした気持ちでいられるのです。
私が夢の中で弾いているスタイルが押尾コータローさんのギタースタイルそのものだったのです。

 何だか自分を見ているようで、「押尾さんには大変失礼になりますが」アドレナリンが湧き出てくるのが感じ取れる瞬間でした。

 私も今ギターが弾けない代わりに作曲ソフトで作品を表現していますが、まだまだ未熟で思いの半分ほどしか表現できていません。

 押尾さんのギターを聞いて、私のギター小僧のハートに火がついたようです。

 



県知事・県議選挙の投票日

2003.4.15.

 去る4月13日は県知事・県議選挙の投票日でした。
私は、選挙の投票はするようにしています。それは与えられている国民の権利を行使しているまでで、大それた大義は存在していないが与えられている権利を行使しないのはもったいないというただそれだけなのです。

 私のように在宅療養をしている者には、郵便投票、不在者投票などの投票方法があり、これまでその両方を経験してみたのですが、郵便投票は投票するまでに周りの人が何かと動いてもらわないとなりません。
たとえば郵便投票に必要な書類を役場(所)に取りに行ってもらって必要な項目を記載して提出したら、速達で投票用紙と返信用の封筒などの一式がこちらに届き、投票用紙に記入してポストに投函します。

 不在者投票は投票日の前日まで所定の投票会場に行って投票します。私はこれからもこの不在者投票を利用していくつもりですが、今回は妻の休暇と投票日が重なったので我家から歩いて五分ほどの投票所へ行きました。
 人工呼吸器をつける前は最寄の投票所に行っていましたが、そこでは記入場所の台が高く不便していたのですが、今回はその台すら使うことができないことをと予想してブリーフケースのようなものを持参してそれを机代わりに使う予定でした。もしそれでも記入することができなければ棄権しようと思っていましたが、何とか妻の助けもあり投票できました。

 私にとってはその帰り道の散歩がとても心地良いひとときでした。わずかに花を残すソメイヨシノや満開の八重桜、田んぼには子供のころよく寝転んでは辺り一面に春の香を振りまくレンゲも花盛りで、ツツジや百日紅と通りの庭先で咲き誇る姿を楽しんだことです。
久々の気分転換になった一日でした。



母校で講演 Part 1

2002.11.20

 先月末、母校の中学校で講演をした。最初の10分〜20分の予定を大幅にオーバーして40分もしゃべってしまった。
 この件の依頼があったとき、まず私の声を聞き取って話を理解してくれるだろうかという思いがよぎったのだが、私の冒険心も手伝いこの話を引き受けたのだった。
 現在、私の発声法は気管切開をしているために肺から喉の声帯への気道が遮断され、そのため普通の発声ができない状態である。発声を可能にするには、口から声帯へいったん空気を送り声帯の周りの筋肉を縮める事によって発声する方法を採っている。この方法では会話はできるのだが、いかんせん声が小さいのと単語や文節が途切れ途切れになる場合がある。
 なるようになるさの気持ちでその日を迎えた。

 


母校で講演 Part 2

2002.12.9

 予定の時間より早めに校舎の正門を入り待ち合わせの場所に到着した。ここで私が今日のために用意していた話題を急遽変更する思いにいたる出来事があった。
 車から会場の体育館へ移動するために、数名の生徒が介助係になっていた。私の乗る車椅子の両側に寄り添いながら歩くのだが、わずかな段差や坂道を通るたびに彼らの口からさまざまな気遣いの言葉や、注意を呼びかける言葉が飛び交うのだった。
 このことに私は正直驚いてしまった。自分が彼らと同じ年代のころには、この様な思いやりや気遣いの心を持っていただろうかと自問自答したのだった。恥ずかしながら自分には彼らのような気持ちの持ち合わせが無かったように思えた。
 私は、このわずかな移動時間の間に私自身の考えが変わったのだ。いや、彼らの行動により変えられたのだった。
 私の体力の限界まで、彼らに話をしょうと言う思いになっていたのだ。

 

 


母校で講演 Part 3

2003.1.6

 話を始めてまず感じたことは、マイクを通しても聞き取りづらい私の声を懸命に聞いていいることだった。
 私自身、彼らの話を聞く姿勢に応えなければと話を進めていくうちに時間の感覚がわからなくなっていた。マイクを持ってくださっていた先生が何度か交替したので、20分は経過しただろうと思っていたが、終わってみて40分が過ぎていたのにはわれながら驚いてしまった。しかし、何とか話を無事終える事ができたのだ。
 この日、20云年ぶりに同級生と再会した。彼は社会科の教員として母校に赴任していたのだ。
 彼とは在学中、野球部で一緒だった。私は当時、運動はもちろん走る事さえできない状態だったのだが、監督の恩情でマネージャーとして籍を置いていたのだ。仕事はと言えばスコアーブックの記録が主だったが、記録よりも、グランドに出て声を出している事が多かった。
 彼は私の記憶の中では、笑顔が絶えなくて、その上話は面白く、よく周囲を笑わせていた。再会してみてまず思ったのは、お互い横にふっくらした事を除けば彼が全く変わっていなかった事だった。
 彼は今、野球部の指導をしているというのだ、それも今年の成績が、県大会ベスト8だという、私達が在籍していたころの野球部は県大会の地区予選でニ回戦に進むのが精一杯だったころの成績を思えば、あっぱれとしか言いようがない。これは監督を誉めるより生徒を誉めるべきだ。マサノブゴメン。
 残念な事に彼は、授業の関係から同席はできなかったが、わずかな時間ではあったが彼との懐かしい思い出の中でひとときを過ごすことができた。
 後日、生徒の皆さんの話を聞いた感想を載せた学級新聞が届いた。中には私の病気についての認識ができた事やこれからの自分の可能性が広がったことなどの意見が書かれているのを見て、彼らのこれからの人生のステップへの一助になれた事に、感謝を捧げる思いで一杯になった。


 

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